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2013年9月15日日曜日

曲の「仕上がり」を見極める?

同じ曲をずっと練習していると、ある段階で壁にぶつかる。

もちろん、最初から自分には少し難しい曲を選んで「チャレンジ」しているので、技術的・初歩的なカベには何度もぶつかっている。それを越えていくのが練習する楽しみでもある。


ところが、ある段階になると「自分の今の実力ではこれが限界(かな~)」という感覚を持ってしまうことがある。というか、持ってしまったのである。この数ヶ月練習してきたベートーヴェンのソナタ第8番第2楽章で…。

残念ながら、「仕上がり」という状態にはほど遠い。しかし、「60の手習い」初心者の現在の実力では、これ以上仕上げるのは無理なのでは、と実感したのだ。より正確に言うと、この先は努力の量に対する成長が極めて少ないのでは、という感覚である。成長曲線がほぼ水平になった、ということである。


現状はというと、ほぼ暗譜で、間違えながらも、通しで弾ける、までにはなっている。

ちなみに、暗譜できたこと自体、私にとっては初めてのことですごい進歩なのだ。が、数箇所、自信のない箇所は「健在」である。とくにコーダ(大事なところ)の「左3連符:右4連符」はうまくいかない確率が極めて高い。


「最後まで通して間違いなく弾く」という基本部分で、少なくとも70%くらいの確率で成功させたいのだが、今以上にその確率を上げることに限界を感じている。

それより、なによりも限界を感じるのは「表現技術」に関わる部分である。なんか実力以上に「偉そうな」ことを言っているようで申し訳ないが…、「大人のピアノ学習者」は「耳年増」なのである。


ベートーヴェンのソナタ、とくに8番「悲愴」なんてものは何度も聴いている。それも、何人ものプロが極めた演奏を。今も、YouTubeで一番聴いているのは、バレンボイムの素晴らしい演奏なのである。

もちろん、バレンボイムをお手本として、それと比較しながら自分の弾く音を聴いているわけではない。その証拠に、自分で弾きながら気持ちよく自己満足できる瞬間も数少ないながらあるのだから。

そうではなく、自分がこう弾きたいというイメージや、好きなフレーズがこう響いて欲しいという期待感のようなものに対して、それが表現できない「もどかしさ」のようなものがあるのである、たぶん…。


いずれにしても、現時点の実力で到達できるレベルを「とりあえず」の仕上がりと思うことにしたのである。「とりあえず」というのは、この先ほかの曲や基礎を練習していくことで、将来はこの「とりあえず」のレベルが上がっていく筈だ、ということである。

なので、第2楽章はしばらくお休みして、なんと大胆にも第3楽章にチャレンジすることにした。


第3楽章は、ご存知の通りテンポも速く、第2楽章より難易度は間違いなく高い。

でも「耳年増」の頭の中では、第2楽章を弾きおわったあと必ず第3楽章の軽快なパッセージが鳴るのだ。それで、弾きたい思いが募ると同時に、なんとなく弾けるんじゃないかと思い始めたのである(恐ろしい妄想であるが…)。


で、昨日あたりから取り組み始めたのだが、これが結構楽しいのだ。

もちろんぜんぜん弾けないのだが、ところどころ思ったより簡単な部分もあるし、音のパターンが面白い。当面は、指が音を覚えるためのたどたどしい練習になるが、それほど苦にはならないような気がしている。

まずは、バレンボイムの3倍くらい遅いテンポで弾けるようになることを目指そうと思う。「60の手習い」は楽しくなくっちゃ意味がない(^o^)/。



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